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「どんな仕組みかな?」幼い頃、 身につけた見方が作品の糧に【きかせて、子そだて】

子育て中の読者には説明不要、大好きな子どももいっぱいな、レゴブロック。そんなレゴブロックを使って作品をつくる、プロの「レゴビルダー」という職業を知っていますか?三井淳平さんは、世界で23人しかいない、「レゴ認定プロビルダー」の1人。どんな子ども時代を過ごしたの?お話を聞きました。

1歳で出会ったレゴブロック 外遊びもしつつ小学生から没頭

レゴブロックに出会ったのは、1歳のときです。幼児の頃は、レゴブロックだけでなく、プラレールや積み木、折り紙など、ものづくり系の遊びが好きで、その中のひとつがレゴブロックでした。

そこから、小学生になると、レゴブロックが遊びの中心になっていきました。惹かれた理由は、拡張性の高さです。興味に合わせて、造形もできれば、モーターを組み込んで動かすこともできるところに魅力を感じたんですね。

といっても、夕方5時までは外で友達と遊んでいるので、レゴブロックで遊ぶのは毎日ではなく、土日など1週間に2~3日。というのも、子育て中の保護者の方はよくわかると思いますが、レゴブロックって散らかるんです。うちはそんなに広い家ではなかったので、遊ぶ場所=寝る場所。布団を敷くためには、パーツを片付けないといけません。つくりかけの作品は作品でとっておいて、パーツは種類ごとに整理して、収納してから寝ていましたね。その分、作品をつくる日は、小学校、中学校、高校と、少なくとも1日2~3時間は取り組んできました。

中学生になると、自分でつくったウェブサイト上で作品を発表。小さい頃は、3歳年上の兄と一緒にレゴブロックで遊んでいたのですが、その兄も中学生になるとやらなくなったので、自分1人で作品をつくっては、メイキングも含め、作品の写真をインターネットで発表するスタイルでしたね。

特に何も言わず見守った両親 パーツの海外通販では手助けも

大学受験を数カ月後にひかえた高校3年生の頃、テレビ番組の「TVチャンピオン レゴブロック王選手権」に出ることになりましたが、親には特に何も言われませんでした。野球をずっとやってきた人が野球の大会に出るようなもので、今まで続けてきたことの延長線上ですから。学校の課題などはしっかりやっていたので、結構任せてもらっていた感じですね。

親からの応援といえば、「困ったときに頼った」くらいでしょうか。作品をつくりはじめた最初は、誕生日プレゼントでもらったセットをばらしてパーツを手に入れていましたが、作品が大きくなると、同じ色・同じ形のパーツが大量にほしくなりました。しかし、パーツの購入に使えるおこづかいは限られています。そこで、高校生の頃は、最も安く買える、海外からの通販でパーツを手に入れていたのです。そんなとき、親には決済を手伝ってもらいました。「ドルの取引だとどの方法が手数料が少なく済むか」など、相談に乗ってもらいましたね。

本質をとらえること アートにも科学は必要

たとえば、人物や生き物の作品をつくるときには、皮膚や毛並みなどの表面だけをなぞるのではなく、骨格や筋肉などをイメージした方がうまくいきます。「本質を見る」ということですね。アートにもサイエンスは重要なのです。

ぼくは、アートの専門的な教育は受けていませんが、科学については学んできました。また、子どもの頃から、機械や建築物、生き物に対しても、「これはどういう仕組みなんだろう?」「中はどうなっているんだろう?」と考えることが自然になっていました。父もエンジニアで、そういった「モノの見方」を教えてくれたおかげで、身についた考え方です。

今はぼくにも子どもがいますが、子どもたちには、それぞれ好きなことに挑戦してほしいと思っています。「これをやった方がいい」など押し付けず、自分自身で打ち込めるものを探してほしいですね。


みんなの研究 ブロックでなんでもつくる! ビルダーの頭の中

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」といった有名な絵画や、通天閣などの建築物、ゲームの中の世界まで!設計図なしで再現していく三井さんの頭の中を覗ける、貴重な1冊。レゴブロックと出会った子どもの頃から、作品制作と発表を続けた学生時代、レゴ作品制作が仕事になった現在までの活動も追体験できます。文:三井淳平、イラスト:米村知倫 、偕成社

三井 淳平さん
1987年生まれ。2005年、テレビ番組の「レゴブロック王選手権」準優勝で注目を浴びる。東京大学在学中、「東大レゴ部」を創部。2011年、レゴ認定プロビルダーに最年少で選出される。大学院修士課程を卒業後、エンジニアとして3年間鉄鋼メーカーに勤務した後、2015年レゴ作品制作を事業とする三井ブリックスタジオを創業。5歳と3歳の2児の父。
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